April 2005

April 30, 2005

空手を始める人のために 【流派・道場の選び方 その2】

■流派よりも、道場が大事!

あなたが、これから空手を習いたいのであれば、

「どの流派が自分に合っているか?」よりも、
「どの道場が自分に合っているか?」を考える方が、楽しく空手を続けるために、重要な事です。

例えば、自分は絶対に○○流が良い、と思って入門しても、道場が非常に封建的で、しごきがあったり、人間関係がうまくいかなかったら、どうですか?
いくら、その流派が好きでも、道場に通うことが苦痛になりますよね。挙句の果てに、憧れていた流派までも、嫌いになってしまうかも知れません。

ですから、流派よりも、まずは実際に道場を見学して 、雰囲気が良いか、特定の人だけが威張っていないか、などをチェックしてください。

自分に合った道場を選ぶと、必ず長続きします。長続きするということは、確実に強くなれる、ということですから。

特に、今から書くような道場は要注意ですので、きちんとチェックしてくださいね。


1.師範が必要以上に威張っている道場。
  空手道場というと、封建的なイメージが強いですが、最近では、親切丁寧に教えてくれる道場も多くなっています。
師範が威張っているということは、それだけ封建的だということ。そんな道場は、練習内容も前近代的かもしれません。


 2.教え方が、体系だっておらず、「体で覚えよ」とばかりに、
   丁寧な教え方をしていない。

  教え方が体系だっていないということは、明確な稽古のプログラムが存在しない、ということです。
そんな道場では、成長するのに非常に時間がかかります。
もし、続けられたとしても、自分が教える立場になったときに、教え方が分からない、ということになってしまいます。


 3.白帯に、必要以上に厳しい稽古を課している。
  白帯のうちから厳しい稽古を課すというのは、どうかと思います。
例えば、全くの野球の素人に、140kmのボールを打て、と言ってるのと同じです。
「白帯にはこの稽古」「色帯にはこの稽古」という風に、段階的にステップアップできるシステムをとっている所が望ましいです。


4.先輩が訳もなく威張り散らしている。
  これも、1.のケースと同じですが、先輩が威張り散らしているような道場に、良い道場はありません。
空手は、心身ともに強く、正しい自分を形成するためのものです。人間的に?マークが付くような人がいる道場は、避けたほうが賢明でしょう。



5.黒帯の先輩が少なすぎる。
  黒帯の先輩が少ないということは、それだけ続けられる人が少ないということです。
また、黒帯がいない道場は、道場全体のレベルが高くなく、指導もしっかり行われていない場合が多いのです。
ただし、歴史の浅い道場は別ですよ。見学の際に、道場の経歴と黒帯の数を対比すると良いでしょう。


よい道場を選ぶためには、実際に見学にいくのが一番です。
じっくり稽古を観察してくださいね。

それと、見学者に対して親切な態度で応対してくれる道場は、間違いなく良い道場ですので、応対者の態度や、質問に対する答えを、よく聞いて「自分に合っているかどうか」を決めるようにしてください。



■宗道臣の教え まずは自分を大事にすること

少林寺拳法の教えに、

自他共楽

というのがあります。
これは、「半ばは己の幸せを 半ばは他人の幸せを」

という教えとリンクするんですが、自分も他人も共に楽しむ、という意味です。

さて、ここで注意するのが、「自分」が先に来ていることです。
「半ばは他人の幸せを 半ばは己の幸せを」では無いんですね。

それには、深い意味があります。
少林寺拳法の開祖、宗道臣は、1980年に言った言葉に、その意味を解く鍵があります。



自分自身を大事にしない人間があったら、おかしいのであって、己がまず第一だ。
しかし、己が全てではない。相手がある。
半分でも相手のことを考えてあげる。相手の、まして幸せを願うようになったら、戦争なんかいっぺんでなくなるっていうか、起きるはずがない。
もちろん、夫婦の争いもなければ、仲間同士の撃ち合いもないはずれある。




ポイントは、「己がすべてではない」というところです。

人は、ついつい自分の事ばっかりを考えてしまいますよね。
って、私もいつもそうなんですが(汗)、

半分は、他人のことを思いやる。
でも、最初に大事にするのは自分だよ。
ということです。

自分はどうでもいいから、他人に幸せになってもらいたい・・・

ってのは、めっちゃ格好いいですけど、凡人には不可能です(笑)。

自分を大事に出来ない人が、他人を大事にできるはずないと思いますから。

さて、この教え、あなたならどう生活に活かしますか?

April 29, 2005

坂本竜馬は、恥ずかしがり屋だった??

私は、すごく恥ずかしがりやです^^;
 
「こんな事を言って、人から変に思われたらどうしよう」
「こんな事するのは、恥ずかしいな」
 
という考えが、いつも頭をよぎります。
このブログを開設するときも、「なんだか恥ずかしいな」という思いが、先に頭をよぎりました。
 
でも、坂本竜馬のこの言葉に、背中を押してもらったんです。
 

恥といふことを打ち捨てて世のことは成るべし。

 
今までやっていなかった事をする時。つまり、新しく行動を起こすときは、怖さと同時に、恥ずかしいという気持ちもありますよね。
 
失敗したら、恥ずかしいな。
 
という気持ちです。
でも、竜馬のこの言葉によると、恥を捨てないと、仕事ができないのです。
 
知らないことは、恥ずかしいことじゃないです。
知らなければ、知ってる人にどんどん聞けば良いんです。
 
私も、このブログを開設するときは、知らないことだらけでした。
そこで、恥というものを捨てて、ブログの第一人者である、なつきさんに相談し、初歩的なことから教えてもらったんです。
 
 
恥を捨てることは、結構勇気がいりますが、恥を捨てて1歩踏み出せば、必ず今までに見たことのない風景が、自分の前に広がりますよ。
 
ところで竜馬、この言葉をしょっちゅう使っていたそうです。
どうして??
 
たぶん、竜馬は人一倍恥ずかしがりやさんだったのでしょう(笑)。
自分を戒めるために、この言葉を人にも吹聴していたんだと思います。
 
さあ、恥を捨てて頑張りましょう!
っていっても、恥と同時に「誇り」も捨てたらダメですよ。
 
▽ 司馬遼太郎の「竜馬がゆく」は、歴史小説ですが、自分の生き方について、すごく考えさせられる本でもあります。
人生の指南書ですよ、これは。竜馬の生き方は、ビジネスにも応用できますよ。いろんな名言もちりばめられています。
 
 
竜馬がゆく〈1〉
司馬 遼太郎

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合気道の教え 【塩田剛三の言葉】

今まで空手の教えを中心に紹介してきましたが、今回からは、もっと他の武道の教えも紹介していきます。
 
んで、合気道です。
 
合気道は、開祖植芝盛平翁が、古くから伝わる起倒流柔術、柳生流柔術、神陰流剣術、大東流柔術などを修行体得し、更に日本古来の神道的教養を通じ、精神性、求道性を加えた、現代武道です。
 
私にとって、合気道ほど不思議な武道は、ありません。
練習を見学したことあるんですが、一見したところ、稽古はハードなわけではなく、和気あいあいとした雰囲気の中で行われています。
 
空手の練習なんかは、「ビシッ」「バシッ」「ウゲッ(笑)」などどいう激しい練習がほとんどですが、合気道はそんな風な練習は、してないんですね。
 
ところがですよ。
超人的に強い人物を輩出するんです。合気道は。
 
合気道の達人について書いている、おもしろいサイトを見つけたので紹介しておきますね。
 
 
その代表といえば、やはり塩田剛三でしょう。
 
では、塩田剛三の言葉です。
 

基本はあくまでも原則であって、その人の体質に合った体勢と言うのが一番強い。
それは誰に教わるものでもなく、自分でみつけにゃいかん。
足が開こうが狭くなろうが問題じゃないんだ。本当を言えばね。
しかし、人間は楽な方に行くから、放っておくと只の我流になってしまう。
だから、常に基本に立ち返ると云うこと、これが大切。

 
武道に限らず、基本というのは一番大切です。
 
会社においても、新入社員の時は、仕事のやりかたの基本から学びますよね。
ビジネスをするにおいても、基本というのがあります。
 
最近は、色んなビジネス書などがでて、色んなノウハウが書かれています。
 
最初のうちは、それらの基本を忠実に守ることが大切です。
でも、基本に縛られるのは、ある面悪影響を及ぼすこともあることを知らなければなりません。
 
基本さえ守っておけばいいんだ。
 
では、自分で創意工夫をすることを怠ってしまう場合ばあるんですね。
基本を大切にしながら、そこに自分で創意工夫して、自分に一番あった方法を考える。
 
これが大切なことだと思います。
 
基本をおろそかにする、という意味ではないですよ。
基本をしっかり学ばないと、間違った方向にいってしまいますからね。
 
基本をしっかり踏まえながら、自分なりにアレンジする。
 
これが、大切なことだと思います。
 
 
 
 
それにしても、合気道は不思議な武道です。
開祖、植芝盛平。塩田剛三。
こんな達人は、古代から伝わる日本の「気」の力、神秘的な、不思議な力を感じます。
 
 
きっと、驚きます。
老いてなお、こんなに強い人がいるなんて。
「強い」という概念を覆されると思いますよ。「力」じゃないんですね。
 
 
塩田剛三 神技伝授
塩田剛三

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April 28, 2005

空手を始める人のために 【流派・道場の選び方 その1】

空手を習いたい、という人にとって一番悩むのが、

「どの流派が良いのかな?」
「どの道場にしようか?」

ということではないでしょうか。

「俺は絶対に、極真が良い!」とか、
「芦原空手を習いたい!」等と、既に決意している場合は、その流派を学ぶのが良いと思います。

しかし、空手を習いたい、という多くの人が、「絶対にこの流派にしたい!」という、明確な答えを持っていないケースもあるのです。
「近所にあるから」というのが、意外と多いケースです。

そこで、これから空手を始める人のために、流派・道場の選び方をアドバイスします。

断っておきますが、「この流派が強い」とか、「この流派が優れている」とかを言うつもりは、まったくありません。

空手を修行するものにとって、「どの流派が最強」などと、安易な最強論に偏った考えをするのは、極めてナンセンスであり、そういう議論は、得てして空手経験のない人が、評論家ぶって話をする類のものだと思います。

重要なのは、空手や格闘技を、テレビの前に寝転びながら、「あいつは強い」とか、「この流派が強い」と無責任な空論を振りかざすことではなく、空手を修行することで、心身ともに、強い自分を手に入れることです。

「見る」ための流派選びではなく、「やる」ための流派選び・道場選びを念頭に置く必要があります。


・・・・と、いうことで今日はここまで(笑)

次回から詳しく書きますね。



April 27, 2005

アントニオ猪木の鋼の意思

アントニオ猪木。
新日本プロレスを創設し、燃える闘魂の異名をとり、異種格闘技戦に果敢に挑戦した、偉大なプロレスラー。
 
猪木は、恐ろしいほどの強靭な、鋼のような意思をもっていた
 
・・・・・・・・・・
 
のではないようです(笑)
 
では、アントニオ猪木の言葉をどうぞ。

俺たちは皆、弱い意志を何とかつなぎ合わせて生きている。はがねのような意思なんて誰も持ち合わせていない。

だから苦しい時、どん底の時こそ、過激に生きねばならない。途中で逃げ出してはいけない

 
「はがねのような意思なんて誰も持ち合わせていない」のです。
 
これだけでも、なんか勇気が湧いてきません?
すごい人に、「僕もあなたと同じように悩むことがあるんです」といわれると、へたれの私は、なぜか勇気が湧いてきます(笑)
 
でもね、弱い意志をつなぎとめることが、結果、強い意思となるんだと思います。
 
例えば、ブログでもそうですよね。
毎日記事を20個書くぞ!という強い意志は、残念ながら私にはありません。
 
でも、1日1個くらいなら書けるかな、という弱い意思ならあります。
 
この弱い意志で、毎日コツコツと書き続けると・・・・・・量が増えてくるんですね、結局。(って、記事数はまだまだですけど)
 
んで、外からみると、「この人、すごいなー」となるわけです。
 
真実は地味です。
(って、この方も言ってます。コチラをクリックしてください
 
おかげさまで、このブログも人気ブログランキングで、じわじわ順位をあげています。
 
 こちらで確認してくださいね↓(って、まだまだですけど)
 
誰も見てくれていなくても、コツコツと書き続ける。
どん底の状態でも、あきらめずに続ける。
 
それが世界のイノキを作り出したのです。
 
 
▽ 猪木の詩集です。詩人としての才能も発揮するとは・・・・。
  人生に役立つ言葉もたくさんありますよ
 

猪木詩集「馬鹿になれ」

■宗道臣の教え 嬉しさや喜びを倍にする方法

今日は、嬉しいことや楽しいことを、倍にする方法をお伝えします。
 
少林寺拳法開祖・宗道臣の言葉です。
えっと、いつもの短い言葉じゃなくて、ちょっと長いけど紹介しますね♪
 

うれしいこと喜びっていうのは倍化するもの。
 
悲しみは人に聞いてもらうと半減するがね。
 
ならな、人が好意でしてくれたこと、素直に受け取ったらどうだ。
仕様もないもの一つ上げても、いつでも持ってくれてるの見ると、
あ、やっぱり喜んで使ってくれてるなぁと思う。
 
もろたけど、どっかへプッといってしもうて、それっきりになってしまうと、
ああ、やっぱり気にいらなんだのかな、と思ったり、失礼なことをしたんじゃないかなぁと思ったりする。
 
これがね、人生のひとつの極意なんだよ。
感情の世界を生きるということ。
相手に喜んでもらえること。
喜んであげること。
 
そういうことをもっと素直にしたらどうかな。
(以下省略)

 
人の好意を素直に喜べる人間って、素敵だと思います。
 
好意をした人間も嬉しいものですね。
 
例えば、なにかプレゼントをもらったとき、どんな風に感謝の気持ちを伝えますか?
 
1.「どうも」
2.「ありがとう」
3.「ありがとう!こんなの欲しかったんだ」
4.「ありがとう!ずっと大事にするよ」
 
3と4が、より相手に喜んでもらえる言葉だと思います。
 
簡単に言えば、大げさに喜ぶこと(笑)。
 
照れくさいと思わずに、言葉に出すことが大事だと思います。
すると、相手も嬉しいですよね。
 
その嬉しそうな様子を見て、あなたも、より嬉しくなると思います。
 
テクニックじゃないですよ。
心をこめることが大事です。
 
「ありがとう」だけじゃなくて、「ありがとう、大事にするよ」
「おはよう」だけじゃなくて、「おはよう!今日も元気だね」
 
など、相手が喜ぶ一言を付け足すようにする。素直な気持ちでね。
 
これって、「半ばは己の幸せを 半ばは他人の幸せを」
の教えに通じてますね。


北辰一刀流、その先進性について

坂本竜馬は、明治維新の立役者として有名ですが、剣の達人でもあります。
 
当時、絶大な人気を誇っていた北辰一刀流の免許皆伝であり、神田お玉ヶ池の千葉貞吉道場の塾頭をはっていたのです。
 
そこで、北辰一刀流がなぜ人気を博したのかを検証したいと思います。
 
北辰一刀流の始祖は、有名な千葉周作です。
周作は、今までの剣術の概念を根本から覆した人だったと思うんですね。
 
当時の剣術の稽古といえば、木刀を持っての打ち合いが主流でした。
ところが、周作は竹刀と防具を使った、近代的な稽古システムを作り上げたのです。
 
これによって、稽古時の安全性が飛躍的に高まり、いわば「誰でも」剣術を習える場を創り出しました。
 
また、当時の剣術はわざと分かりにくい教え方をすることで、権威を保とうとするのが一般的でした。
 
それに対し、周作は平易で、理屈に則った分かりやすい指導方法に変えたのです。
 
当時とすれば、非常に先進的だったと思います。
 
●誰でも稽古できるシステムを作り出した。
●誰でもわかりやすい指導方針をとった。
 
この2点が、北辰一刀流が一世を風靡した原動力となったように思います。
 
いつの時代もそうですが、「分かりやすい」「誰でもできる」というのは受け入れられます。
 
難しい剣の修行を分かりやすくした。
ここに、千葉周作の天才を見ることができます。
 
 
ビジネスの世界においても、いかに分かりやすくお客様に伝えるか、が重要ですよね。
流行する製品というのは、コンセプトが明確で、シンプルです。
 
難しい言葉を並べるよりも、分かりやすい言葉で伝えることが出来る人が、本当に「出来る」人だということですね。
 
・・・・・・・・・
 
 
って、今日の文章、堅苦しいやん。
分かりにくいやん。
 
・・・・・・・・・
 
俺って、まだまだ半人前(笑)


4月26日の、あの日

今日はちょっと回顧録を・・・。
 
11年前の4月26日。

私は極真会という刺繍の入った道着を着て、道場に立っていました。
その日は、いつもの稽古の雰囲気とは明らかに違い、なにか道場生全員の顔がこわばっていました。
 
もちろん、師範代の顔もこわばっていました。
 
それでも、いつもの稽古と同じように、メニューは進んでいきます。

「三戦立ち、よーい!」
「正拳中段突き、始め!」
 
それは、外から見るといつもと変わらぬ稽古風景。
でも、私を含め、その道場の中にいた人間の心中は、穏やかではありませんでした。
 
 
皆、知っていたのです。
 

それでも、誰も「そのこと」を口に出す者はいませんでした。
でも、今から思い出すと、その日の稽古内容はいつもとは若干違っていたのです。
やたら、基本稽古の本数が多かったのです。
 
そして、その基本稽古の1本1本が、とてつもなく重い意味をなしているんだと、なんとなく直感しました。
いつもより多い基本稽古。それは、「立ち方三年、握り方三年」の教えのまま、空手で一番重要な稽古だったのです。
 
普通なら、スパーリングが始まる時間帯。
師範代が、本日の稽古の終了を告げました。
不動立ちのまま、師範代の方に向き直る道場生たち。
師範代が、これから何を口にするのか、皆分かっていました。

「・・・・・本日、大山総裁がお亡くなりになった・・・・」

1994年4月26日の記憶です。
 
このブログを運営するまで、「その日」は遠い記憶の向こう側にかすんでいました。

今、記憶を辿りながら書いているので、不確かな部分も多いと思います。
あれから11年。自分は、極真で学んだ事をどれだけ自分の血肉にしているのか?
 
「極真は絶対に背中を見せない」
 
辛い時、悲しい時、決断しなければならない時。

汗を流した青春道場の一コマを、もう一度記憶の端から引っ張り出して、強く生きよう。

安易な方向に流されつつある自分に、今一度、押忍の精神を。
 
 

 


April 26, 2005

アントニオ猪木に学ぶ、限界を破る方法

アントニオ猪木。

彼は、常に限界を破ってきました。
新しいことにチャレンジし続け、新しい世界を切り開いてきました。

猪木には限界はないの?・・・・・・・どうやら、ないらしいです(^^)
それは、この言葉で分かります。



限界などない。あるのは限界を口にしている自分だけだ。ありもしない限界にこだわるな。
私に言わせれば「限界」なんて言葉はこの世にはない。「限界」というから限界が出来るのだ。




まったく、その通り!
限界は自分で作ってるんですね。

「もう出来ない」「無理だ」

と思うときは、その時点で満足しちゃってるんですね。

言葉に出せば、その通りになる。
これは、納税額日本一の斉藤一人さんも言ってます。

だから、「限界だ」と言いたくなった時には、「まだやれる」と思いましょう。そうすると、知恵も出るし、さらに一歩進む気力も湧いてきます。

「限界なんて、この世にはない!」

なんて、力強い言葉なんでしょう。



こないだ、近所の図書館で見つけたアントニオ猪木の自伝です。
こんな本があったなんて、知りませんでした。
そして、アントニオ猪木がこんな真摯な人だったなんて・・・・

猪木寛至自伝
猪木 寛至

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ちなみに、納税額日本一の斉藤一人さんの教えは、

「ツイテル」を毎日百回は口に出せ!

というものです。そうすると、自然にツキが回ってくるそうな。

「ツイテル ツイテル」と言いながらブログを書いてると、間違ってせっかく書いた記事を保存せずに消してしまいました。ああ、一生懸命書いた記事がーーーーーーーー。

「ツイテナイ・・・」